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2008/02/22

ヨガやダンスを追求するモチベーション

NYに居住している時は週に2回はパフォーマンスを観ていました。
小さいシアターに通うのが好きでした。

NYには様々なスタイルのダンスが氾濫しています。
それは人種の坩堝のせいでしょう。
芸術を好む一般市民が日本に比べて断然多いので、何でもありの世界、そしてそれが楽しかった。

日本に戻ってすぐにいくつか舞台を観ました。
感覚が異なることに戸惑いを感じたのが正直な感想です。
決して身の毛がよだつものに出会うことがありませんでした。
(といいながらも、作品を観るのと作るのは異なりますが)

日本のコンテンポラリーは観客層が決まっていて、一種独特の世界を構成している気がします。
コンテンポラリーダンス客の萌え化という表現も頷けます。
そのまま自分の生活に追われて、ダンスから遠ざかっていました。

踊りたくなって作品を作り、それがヨガ中心の生活にさらに活力を与えたのは、自分を高めていく上で喜ばしいことです。

自分を観て貰いたい、認めてもらいたいから作品を作ったり、踊りたいというパフォーマーは大勢いると思います。
私も観て貰いたいという気持ちが全く無いっていったら嘘かもしれません。

でもそんなことより、自分のヨガやダンスを追求するモチベーションは、自分を広げていく手段の一つなのです。
自分の肉体は最大の親友でもあり、道具でもあり、自由を束縛する障害でもあり、言葉で表現できない可能性を秘めたものでもあります。

そんな自分の肉体と心と魂を少しでも知りたいのです。
原始的記憶にアプローチしたい。
知識で得るのではなくて、感じたい、経験したい。

ただそれだけではなく、表現を通し社会や政治や歴史や森羅万象等、掘り下げていくことができます。
人は何故生きるのか考えていくうえで、私はたまたま肉体を駆使し、表現することで、矛盾だらけのこの世の中と、葛藤しながら関わりを深めていきたいのです。

人は平和の心を求めながらも、勝つために戦う。生と死や愛と憎しみは表裏一体、陰陽ということを言葉で理解しながらも、都合悪いものを押さえつけて恐れを封じます。

ヨガの教えに従って、表面的なものだけで判断していくのは楽な道なのかもしれません。
でもそれは私らしくない。
自分を知るためには、ヨガとダンスは最高のパートナー。
そして直感を鍛えれば、さらにモチベーションが高まります。
どんどん世界が広がっていく。
それは短絡的には自己満足なのかも知れませんが、それを表現することで社会に還元できればさらに嬉しいなあ。
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